DATE
原 題 |
Dragon Heart |
監 督 |
R・コーエン |
スタッフ |
ILM |
キャスト |
D・クエイド |
Story
「騎士は、勇気を胸とし、その心を善にささげ、剣は虐げられた者を守り、その力は弱き者を助け…」
(本編内「騎士の誓い」より引用)
西暦984年、イングランドを治めていたフライン王は圧政に苦しむ農民達の反乱に遭遇した。
王は死亡、同行していたアイノン皇子も、反乱の中での事故により瀕死の重傷を負う事となる。
その報せを聞いた王妃は、一帯を守護していた竜(ドラゴン)に交換条件を持ちかけ、彼を死
の淵から引き戻す事に成功する。父親とは正反対の名君となることを条件に…
しかし、約束が守られる事はなかった。皇子は元来の傍若無人な性格に輪を掛けて、残虐さが
目立ち領民を苦しめる様な真似をはじめる。彼の教育係だったボーエンは、その結果を「ドラ
ゴンの力によるものだ」と思い彼の元を離れた。そして12年もの間、皇子の心を惑わせたド
ラゴンを探してボーエンは馬を走らせる事となる。その向こうに大いなる出会いと別れが待つ
事を知らずに…
解説
いやぁ、今回の作品はずっと紹介したい作品でした。
「映画」としての出来はともかく「おとぎ話」としては傑作かと思います。
子供にもわかるような簡単なストーリーを、大人の鑑賞に堪えられるレベルに
持ち上げたスタッフの手腕は、ちゃんとした形で評価されても良いかと思います。
見所は沢山あるのですが、ここでは人間ではない方の主役「ドラゴン」を
主に解説してみましょう。まずは成り立ちから…
本来「竜」と呼ばれる架空の生物が文字と言う形で人々の前に姿を見せたのは、神話の中で神々の「使い」としてが最初です。
しかもその当時は悪に対する「生物兵器」と言う立場でした。ですから「悪」ではなく「神」に近いスタンスですな。
(紀元前2000年くらいの話)
それより遥か後に、キリスト教が外見の相似性から「蛇」と同一視して「悪」としての立場を確立させます。
この時に現在のイメージを確立したと言っても過言ではないと思われます。私達のイメージは大半がキリスト教からの発展で
あると考えていいでしょう。
さて、この映画に出てくるドレイコは最初のイメージはキリスト教における「悪」のイメージそのままです。
しかし物語が進むにつれその姿は「友人」そして「神の使い」へとシフトされて行きます。
以下は「友人」へと立場を変えたワンシーンをお届けします。
〜ヒロインに歌を聞かせているドレイコ
ヒロイン「素敵ね、とってもいいわ」
ドレイコ「お褒めに預かり光栄だねぇ」
ヒロイン「あなたは普通のドラゴンとは違うようね」
ドレイコ「おや?お嬢さん…ドラゴンの友人がいるのかい?」
ヒロイン「い,いえ…」
ドレイコ「そうだろう、外見で判断しちゃいけないなぁ、ドラゴンは気分がいいと歌を唄うんだ」
この茶目っ気たっぷりなドラゴンのキャラクターは流石です。本来、人語を話す動物を映画に
登場させる事は作り手には不利にならざる得ないのです。
(実在する動物なんかはイメージされている性格という枷があったりします。)
今回は架空の動物、それも聖書やキリスト教では「悪」の代名詞だったりする動物を、役者の声と
性格設定で「良き友人」に変貌させる事に成功しました。これはスタッフのアイデア勝ちではないかと
思います。さて、こんなドレイコも最後には悲しい運命が待ち受けているのですが、それは貴方が自ら
確認してください。絶対に損はさせません。 字幕版ではドレイコの声をS・コネリーが担当してい
るのですが、日本語版ではおなじみの若山弦蔵氏が担当しております。威厳があり、かつお茶目なドラ
ゴンがとても素敵です。
子供の頃に帰って楽しむ事が出来る作品…宜しかったら
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